いよいよ留学先が具体的に決定したので、我々は、地球人の出国手続きを開始した。何しろ、一人での留学の為、提出する書類は多かった。カナダでは14歳以下の子供は、一人で家で留守番をすることすら許さぬ、厳しい規定があった。中学一年生から、親元を離れて留学する外国人は、まだそれほど多い時代ではなかった。(特に東洋から、、、、)
保証人の身元引き受け同意書、保証人の銀行の預金残高証明書、親から身元引き受け人への委任同意書、親の預金残高証明書、パスポートなどの渡航書類のコピーと本人の写真、本人の英訳された戸籍謄本の公正証書、学校の入学許可証などなど、ビザ申請書類への添付書類はかなり多く、時間がかかる面倒なものだった。
学校の環境を確認した私は、地球人の病気にはあまり心配をしなかったが、運動施設の多い、あの中学校では、怪我は大いにあり得ると心配だった。勿論留学先の中学校の入学費用の中には、色々なものが含まれ、最低限度の疾病と怪我に対する保険も掛けられている。しかしそれでは安心できないので、AIUの一年ずつ切り替える保険にも加入した。
しかし、保険はあくまで、病院に掛った後、病院からの証明書があって、はじめて支払われるもの。怪我や、とっさの入院に際しては、十分な預金を身近に置いておき、彼一人のサインでどうにでもお金を動かせるようにしておいてやりたかった。
「備えあれば憂いなし」、、、まさにそんな気持ちで、生活費として使う普通預金口座以外にも、redeemableの貯金を彼名義で積み立てておいた。この貯金は、当時のカナダでは、かなりな金額だったが、早くから金銭感覚を訓練し、独立訓練を施してきた地球人には、身近にこのような大金をみても、惑わされることなく、心のコントロールが利くことは、すでに確信が持てていた。
地球人の留学には、避けては通れぬ面倒な手続きを、我々は黙々と消化し、カナダの義妹夫婦とも何度も連絡をとりあった。働きながらの手続きだったので、大体半年ぐらい掛った記憶がある。正式な学生ビザがおり、地球人が台湾を離れたのは、英語教育小学校の6年生の終了式が終わってから、間もなくの事であった。
当時、台湾を離れるに当って、地球人は自分が20歳になり、自ら台湾国籍を放棄するまでは、なつかしいこの地に、戻っては来られないことを、十分に理解していた。台湾では、男子は中学一年生から、兵役予備年齢となり、出国は大きく制限される。戻った場合、2年ぐらいの兵役義務を、高校卒業時、大学卒業時、大学院卒業時、のいずれかの後に果たすまでは、再出国は出来ない法令となっていた。
地球人は、もう一度戻る時は、自身が20歳を越えた時、つまり、我が家の愛犬はすべて神に召された後、ということを覚悟して、別れの朝は、一匹ずつ頭をなぜ、何かぶつぶつつぶやいていた。人間との別れは???勿論、皆さん気になるでしょうが、元々、夫の親戚はロスアンジェルスに多く移民しており、カナダで地球人が行くところは、舅姑にとっては、実の娘の家。
夫の親族には、それ程の別れの悲壮感はなかった。姑に至っては、母とも慕う実姉がロスアンジェルスに住んでいるし、かなり多くの親族もロスアンジェルスに移民しているので、カナダの娘のところを訪問する大儀名分も出来たし、「ポポ(姑のこと)もすぐ行くからね!!頑張るんだよ!!」と、むしろウキウキと嬉しそうだった。そして、その後の姑は、ほぼ毎年、台湾の義姉に舅の世話を任せ、ロスアンジェルスに2ヶ月、カナダに1ヶ月と海を渡って、地球人に会いにいった。
前にも触れたとおり、地球人の最大の渡航荷物は、自身が製作改造したラジコンカーだった。カナダに留学する年も、例年の通り、まず日本の我が家に落ち着いて、1ヶ月、新たなラジコンカーなどを製作しながら過ごした。いつもは大体3ヶ月の日本滞在だが、この年は、なるべく早くケベックについて、フランス語の生活に馴染むため、1ヶ月で日本滞在を切り上げた。
丁度地球人が日本からカナダに出発する頃、我が家には、後に野球のメジャーリーグのパイオニアとなった、ある有名な選手が滞在していた。彼は、当時まだ、社会人野球チームのひとつに所属していて、まもなく開かれる、野球の国際試合に参加するため、出発前のひと時を我が家に滞在していたのである。我が家は後楽園球場にも歩いて20分ぐらいの距離にあり、当時、夏の都市対抗野球に参加するチームの定宿ともなっていて、彼との縁が生まれていたのだ。
当時から、「100人に一人の柔らかい筋肉をもった、素晴らしい選手」と監督やトレーナーなどにも評判で、すでにファンの注目の的だった彼も、我が家では、物静かで、礼儀正しく、黙々と先輩選手のお世話をしていた。「超一流の大物とは、どんな分野の人でも一味違うんだなあ!!」というのが、後の我が家全員の偽らざる印象であった。
彼は、顔見知りになった地球人が、まだ幼くして、遠くカナダに留学する為、間もなく日本を離れると聞いて、「お互いに頑張りましょう!!」と握手して、地球人を励ましてくれた。この時写された彼との記念写真は、地球人の「思い出写真集」の一枚となり、今、地球人のブログのスライド写真にも公開され、大切な宝物となっている。地球人は幸先良く、未来の大リーガーに見送られ、勇躍日本を後にし、カナダへと旅立っていった。
2008年11月26日水曜日
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