さて、めでたく、大学附属の幼稚園に入園した地球人。毎日、私と一緒に大学に通う日日が、始まった。この幼稚園は、私の所属する、外国語文学院の建物から、歩いて3分。便利この上ない場所にあった。当時、我々がすんでいた家は、大学から車で10分以内の距離にあり、大学の裏門から入ったら、歩いても、行ける距離にあった。
歩いて2~3分のところに、他の専科大学もあり、市場までは2分。大学生が多くて、比較的安全な環境。その上、買い物にも便利。まだ地球人の独立訓練を始める前の我々には、申し分ない住環境だった。
当時私は、台湾島内では、北京語よりも、むしろ台湾語の方が、家庭や職場で多く使われている事実を知った。つまり、北京語はもっと、意識的に強化する環境を与えなければ、外で使うチャンスは、台湾語より少ないことが、わかったのだ。
勿論、幼稚園児以上の子供に、北京語で、改めて訊きなおせば、北京語で答えられる。しかし、自然に喋っている言葉は、台湾語が殆どなのである。(人口の74%が台湾語を話す民族)
夫との数時間の北京語会話と、午前中の幼稚園での北京語だけでは、常用するチャンスが足りない。地球人はすでにこの頃、台湾語はぺらぺらで、近所の子供同士で遊ぶには、まったく不自由していなかった。
従って、国際的な視野に立って、未来を考えると、今後、地球人にとって、最も重要な中国語となるであろう北京語を、この4歳、5歳という大切な時期に、更に強化し、脳内のチャンネル作りをして置かなければ、と考えていた。
当時の私が、常に注目していたのは、言葉の常用頻度のバランスで、使用頻度が少ない言葉を意識的に、強化する為の環境を、どう整備するかというのが、私の最大のテーマだった。これらの努力は、一つの言葉の音域に、耳を固定させないようにする為であることは、もう皆さんお分かりだと思う。
地球人が、英語教育の幼稚園で教育を始めれば、教育の主軸をなす言葉は、英語。北京語は、地球人が中学から、外国に留学した後は、あまり頻繁には耳にしなくなる言葉。だからこそ、この幼児期に、耳を北京語に、全開にしておく必要性を、感じていたのである。
殆どの英語教育の学校には、土地柄、北京語の授業も、週に3時間ぐらいはある。しかし、それでは使用時間が少なく、すぐに退歩する言葉に成りかねない。従って、もっとも耳の鋭敏なこの年齢内に、北京語を更に強化し、忘れない言葉にしておこう、と考えたのだ。私は早速行動に移し、北京語強化作戦を実行する、第二の幼稚園を探し始めた。
その候補の幼稚園は、すぐに見つかった。私が大学の授業終了後、午後だけ教えていたセンターの、道路を隔てた向かい側に、この幼稚園はあった。付近には、病院や大学があり、その教職員の子供たちが、朝7時頃から夜6時頃まで、預けられていた。
ここは、保育園と幼稚園が併設されており、台北市内というのに、庭もかなり広くて、幼児には理想的だった。早速、私は園長先生に事情を話し、午後1時過ぎ(大学からの教職員バスが台北駅に到着する時間は、交通事情により多少誤差があったので、、、、)。から5時まで、この地球人を預かってくれるよう、お願いしてみた。
幸い、私が、この幼稚園とは道路を隔てた向かいのセンターで教えていることもあり、何かあれば、すぐ連絡できる安心感から、園長先生は、地球人の、午後のみの保育を、喜んで引き受けてくれた。地球人は到着するとすぐ、一時間ほどの昼寝。
3時にはおやつも振舞われ、(焼きそばや麺など、、、)願ったり叶ったりの、理想的なスケジュールだった。私は早速、保母さんとの時間を調整し、姑と保母さんには、緊急時の控えに回ってもらった。勿論、二人とも問題なく、OKしてくれた。
ちなみに、当時の地球人の1日のスケジュールは:
1. 08:30~12:00 大学附属の幼稚園で、北京語で勉強
2. 12:00~12:30 歩いて、外国語文学院内の私の研究室に移動、昼食
3. 12:40~13:10 大学の教職員バスで、私と一緒に台北駅へ
4. 13:10~13:20 タクシーで、台北駅から第二の幼稚園まで、私と一緒に移動
5. 13:20~17:00 午後の幼稚園で、北京語で勉強、昼寝、おやつ
6. 17:00~17:30 自分で歩いて、向かいのセンター4階のカフェテリアで私と合流。おやつ
7. 17:30~18:00 タクシーで、台北駅へ移動。教職員バスを待ち合わせ
8. 18:00~18:30 教職員バスで、大学正門前へ
9. 18:30~18:40 大学正門前から自宅まで、タクシーで移動
という、ハードなスケジュールとなった。時間がないので、私は手の込んだ料理は、土、日にまとめて作り置き、昼食は食べやすいサンドイッチとジュースやおにぎりを当日の朝準備した。こうして、地球人は、北京語の幼稚園二つを掛け持ちし、朝から晩まで、北京語で集団生活を始めた。
センターのカフェテリアでは、英文系の先生(ほとんどアメリカ人)とも触れ合い、カフェテリアのオヤジさんとは、すっかり顔なじみとなり、台湾語でお喋りしながら、私の授業の終わりを待っていた。
毎日、午後2時から5時まで、授業を持っていた私が、学生の質問などで戻るのが少し遅れても、地球人は平気だった。カフェテリアのオヤジさんに、台湾語で、好きなスナックをつくってもらって食べていた。(勿論、私からすでにオヤジさんにもお願いしてあったから、、、、)。
地球人は、北京語で幼稚園教育を始め、授業以外では、北京語と台湾語を駆使し、新竹では客家語を使い、私とは日本語のみ使用。2歳以後は毎年、夏休みの3ヶ月間を日本で過ごした。こうして、地球人は、たったひとつの言葉の音域に固定されない、開かれた耳を維持し続けていった。
2008年10月23日木曜日
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