地球人のフランス語への自信を確認した私は、小学校5年生の夏、大学の夏休みを利用して、地球人の留学先候補となっている学校を下見の為、母と一緒に旅に出た。持参したものは、地球人の4年生と5年生の成績表と、IOWAテストの試験の成績、写真などであった。孫の留学先を見ておきたいと、母も付いてきた。「肝っ玉母さんへの恩返し???」で触れた、シカゴで母がスリにあった、そう!!その旅行。
義妹とその夫がモントリオールの空港まで、迎えに来てくれた。夫とそっくりな義妹はすぐわかった。義弟はとてもハンサムなケベック人。さっそく、その日は家に連れて行ってくれた。家では、地球人とはいとこにあたる義妹の3人の子供が出迎えてくれた。
地球人より上に女の子2人、下に男の子1人という構成で、地球人が来れば、この女の子2人と男の子の間に地球人が入る。私は元々、中学1年から、できれば寄宿舎に住まわせたかったのだが、舅姑の意見も強く、最初の一年目はこの義妹の家にお世話になることに成っていた。
地球人が留学する予定の中学校は(高校まである)、この義弟の母校、そして、2人の娘もすでに勉強中で、いずれは、下の息子も入る予定の、まさに、義妹以外、家族全員の母校となるところだった。
義弟はアメリカの大学卒業後、母校に戻って、教鞭をとっていた。娘2人は、義妹夫婦の意向により、中学1年の時から、8クラス有る中で、1クラスだけ、カリキュラムにラテン語があり、数学などの進み方も、他の7クラスより速い、言わば特別クラスに入っていた。
A,B,C,D,E,F,Gクラスは、ごく普通の進み方をし、Hクラスのみが、その特別クラス。つまり進度が速く、難しいクラスだ、ということが、義弟の説明でわかった。他の7クラスの学生と点数が同じでも、大学に進学する時、この特別クラスの卒業生は、評価が全く違う(高く評価される)という義弟の話を聞いた。然し私はすぐ、地球人には無理をさせたくないと思った。
何しろ全くフランス語ができないのである。だから私は普通のクラスに入れてくれるよう義弟にお願いした。何せ、いくら本人が自信があっても、普通のクラスすら付いていけないのでは、というのが、当初の私の心配だったからだ。フランス語空白の12年間を即座に埋められるほど、中学からの勉強は甘くない。
義弟は、「とにかく、自分が保証人になって、この学校に入れる以上、自分を信頼して、すべてを任せてくれ!!」といった。もっともな言い分なので、とにかく彼に任せることにした。義弟は非常にプライドの高いケベック人で、夫婦とも英語は堪能だが、「我が家の方針で、家では子供達に、フランス語しか話させていないので、テツにもこのルールは守ってもらう!!」と言った。
「ウ~~ムムム!!、、、、」と一瞬、私は反論しかけたが、とにかく有無を言わせぬ頑固な様子。私は何も言わなかった、というより、言えないムードだった。「明日、学校へ案内し、校長先生に挨拶してもらうから、、、、」という話だったので、取りあえず、その晩は早く寝た。すでにシカゴで時差調整は済んでいたので、カナダ初上陸の晩は良く眠れた。
翌日、学校を訪問して、本当にその環境のよさには、心から満足した。学校はこの下見した時点で創立140年弱の歴史を持つ、お城のような堅固で優美な建物。学校の敷地内に、サッカー場、野球場など、多くの広々とした野外運動施設がある。中を案内してもらって、更にその設備のよさには感心した。
広々とした教室はもとより、大きな屋内競泳プール。体育館は、バスケットや、テニスコート、その他、多目的に対応できる行き届いた設備。どこも天井が高く、広々とした空間。カフェテリアと寮の設備も言うことなし。荘厳な講堂や礼拝堂、音楽教室と劇場も完備していて、誇り高きカトリック校の面目躍如。
そして多分この学校が、というより学生が、最も誇る建物は、アイスホッケーアリーナ。後に私は幸運にも、長野の仕事の取引先から、長野冬季オリンピックのアイスホッケーの試合に招待された。オリンピック会場に入った瞬間、すぐ、この地球人が留学した中学と高校のアイスホッケーアリーナを思い出したほど、一学校の施設とは思えぬ、木目が綺麗で、高い天井を持った、立派なアリーナだった。
アリーナの管理費はとても高く、アリーナを持たない学校も多い中、「ここの学生は幸せだな!!」と思ったが、当時地球人は、スケート靴を履いた経験すらない人。「まあ、地球人には関係ないか!!」と思った。多分この学校は、私が台湾で教えている大学と同じように、カトリックの色々な団体から、援助がかなりあるのでは、、、、と思った。
驚きは、まだまだあった。なんとこの学校の裏山が、夏はトラッキングコース、冬はスキー場になるのだ。冬、学校の学生は、やりたければ毎日でも、放課後スキーができると聞いて、本当に素晴らしい環境だと思った。勉強や進学だけの目的なら、モントリオール市内にも良い学校はあるにはある。
しかし、私の理想とする地球人の留学先の環境は、多くのスポーツも楽しめる、健康的な環境だった。ここは、行動力豊かな地球人には、願ってもない環境だと、改めて思った。又、この学校の強化科目は科学。数学と科学が強い地球人には最適だ。
構内見学をすませ、さっそく校長先生にご挨拶に伺った。地球人の成績表などの資料を見せ、来年からの受け入れを正式にお願いすると、校長先生は地球人のIOWAテストの成績などにざっと目を通して、コメントなども読んでいた。
校長先生は一応全ての準備書類に目を通された後、義弟が保証人でもあり、問題なく受け入れを許可して下さった。この学校に入学したら、地球人は毎日、紺、黒、チャコールグレイのいずれかの色の上着を着用し、ネクタイをしめて登校することが、義務付けられる。その他、セーターや運動着などの、学校の制服が準備されている。とにかく、すべての印象が、歴史の重さをひしひしと感じさせる、重厚な感じだった。
挨拶や躾も、かなり厳しく鍛えられる。その事は、何かの理由で、夏休みなのにまだ学校に残っていた学生が、私達や先生に出会って、行儀良く挨拶する様子からも想像できた。私は、暴れん坊の地球人には、それもいいなと思った。もう、ジェントルマン教育も必要な歳だったから、、、、、。
一番大切な入学の問題が片付き、義妹夫婦は我々を、オタワに案内してくれた。オタワはご承知の通り、カナダの首都。立派な国会議事堂の中を案内してくれた。イギリスのエリザベス女王の肖像画が飾られたこの議事堂の前では、イギリスのバッキンガム宮殿前と同じ、衛兵の交代式が1日に何回か行われ、馬に乗った兵士と徒歩の衛兵が、例の黒くて長い帽子をかぶり、華麗な交代式典を行っていた。
この義妹の家に滞在中も、肝っ玉母さんの話題作りは、健在だった。朝、食卓でのこと。椅子に座るのがあまり好きじゃなかった肝っ玉母さんは、畳の上にすわるように足を崩して椅子に座っていた。食後、日本語なんか分からない義妹夫婦に、ぺこぺこと頭を下げて、「まあ、まあ、ご馳走様でございました!!」と言いながら、スックと立ち上がった。
途端に、どういうわけか、履いていたシルクサテンのズボンがスポン!!、、、見事にスルリと下に落ちた。哀れな肝っ玉母さんは、初めてお邪魔したこの家で、いきなりあられもない姿になった。
びっくり仰天の肝っ玉母さんを見たとたん、さすがの謹厳実直な義弟も義妹も、唖然としたが、すぐ堪え切れずに大爆笑。しばらく腹を抱えて笑っていた。この粗忽な肝っ玉母さんのハプニングで、初対面の義妹一家と私達の距離はイッキに縮まった。
翌日、取りあえず銀行に行き、地球人と私の連名の口座を開いた。そして、予定どおり、地球人に小切手帳を貰った。帰国後早速、地球人の学生ヴィザや学校の入学手続きを開始するには、必要不可欠な準備だからだ。
こうして、留学先下見旅行の日程は順調に消化され、義妹一家にあられもない、鮮烈な印象を残した肝っ玉母さんと私は、学校のパンフレットと入学準備書類を抱え、帰路についた。いよいよ地球人の飛翔も、あと一歩の、秒読み段階に入ってきた。
2008年11月24日月曜日
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