2009年1月21日水曜日

日本での研究生活開始

プラハへの家族旅行から戻り4日後、地球人と私は日本に向かった。取りあえず、研究室のそばにアパートを借り、当座の生活用品を準備する為だ。勿論、地球人一人で問題なかったが、なにしろ地球人はカナダ国籍。一応、外国人だ。

アパートなどを借りるとき、外国人だとなにかと厄介なので、私は友人との再会も兼ね、同行した。案の定、アパートを借りるとき、私が居て、かなり手間が省けた。部屋が決まり、すぐに簡単な家財道具を買い込んだ。

簡単なといっても、テレビ、ベッド、冷蔵庫その他、数えればキリがないほど揃える物は多い。アパートは駅から5分。周りにスーパーなどが多く、とても便利なところで、地球人の一人暮らしには申し分ない。

とにかく、住まいの確保と生活の準備の手伝いを済ませた私は、間もなく又、日本と台北への出張を控えていたが、ひとまずカナダの我が家に戻った。地球人は、その後、研究室の指導教授にご挨拶に伺い、程なくポスドクとして、日本での研究生活に入って行った。

1ヶ月後、次の出張の途中に、地球人のアパートに立ち寄った私は、驚いた。地球人は新にスクーターを買い込み、毎日、20分ぐらいスクーターに乗って、研究室に通っていた。「安定感のない、スクーターじゃ危ないでしょ?!なんで電車で通わないの??」という私の素朴な質問に、地球人はこう答えた。

「だって、電車は夜12時半が最終だから、、、、」と、、。 「エッ!!夜の12時半まであれば十分でしょう??どういう意味??」と訊いた私に、地球人は笑って、「だって、殆どの人がその時間にはまだ研究室に残っているんだよ。僕はペーペーだもん、、、、」とのこと。

地球人のホームページにその感想が載っているが、確かに日本の研究者は真面目で、夜中まで研究している人も多く、カナダの研究室とはエライ違いらしい。

従って、それからの私は、日本に行っても、ほとんど地球人と顔をあわせる時間はなかった。しかし、毎晩、夜中の2時ごろ、コトコトコトと鳴るスクーターのエンジン音が止み、部屋に入ってくる鍵の音がすると、本当に安心したものだ。小雨の日などは特に、、、、。スクーターのタイヤはスリップしやすいから、、、、、。

こうして、日本での地球人の、猛烈研究生活が始まった。ポスドクの間、基本的に一年に2回、カナダの自宅に戻る予定にしていた地球人だったが、1回しか戻れない年もあった。

しかし、幸い私は、ずっとコンサルタントの仕事を続けているので、年に平均5回ぐらいの出張があり、台北、大阪、東京などに出かける。その合間に地球人の様子を覗く時間もあり、あまり離れている実感はなく、ケベックシティに居たころと変わらない感じだ。

地球人は日本の研究室で、教授や本当に優れた先輩、同僚に囲まれ、良い刺激を受けたらしく、何度も、「この研究室で研究ができて、すごく良かった、、、。」と自分の幸運を喜んでいた。日本政府の奨学金の給付期間は2年だったが、入ってすぐから、もう少し長く研究したいと漏らしていた。

少し日本の研究生活のリズムにも慣れると、心に余裕ができたのか、地球人は又、音楽仲間を探して趣味を楽しんだり、大学の学生とローラーホッケーに興じたり、ケベック協会のメンバーやスペイン語同好会のメンバーになったりして、多言語の維持にも努めていた。日本語の読み書きの強化の為には、日本語検定試験に果敢に挑戦して、実力を高めていった。

もともと、日本語を書くのは苦手な筈の地球人が、最初の試験から、かなりよい成績をあげていたので不思議に思い、「どうやって書いたの???」ときいたら、「へへへ、平仮名書きまくったら、ちょっと減点されちゃったあ、、、、」と笑っていた。

幸い、今はパソコンという便利なものがあり、私ですら、手書きをすると、たまに漢字の書き方を忘れてしまう時代。発音はかなり正確な地球人は、パソコンを駆使すれば、不自由なく書けるらしい。まあ、時代が時代。これもありかな、、、、と思う。

ともあれ、研究の合間にも、日本でも意識的に多言語維持の環境づくりに努め、常用機会を積極的に探しながら、色々な活動に参加している地球人を目の当たりにして、「そう!!そう!!その調子!!」と私は大いに心の中で応援していた。

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